『潰し屋』
「どうして、こんな生活を続けているんですか?」
初対面の相手から静かな口調でぶつけられた、とても不遠慮で面倒な質問。それに答えられず、僕が不快な顔をした事に、その男はむしろ喜んでいるようにこう続けた。
「そうでしょう、ご自分でもよくお分かりでないはずです。おそらく、あなたの頭の中に浮かんだ答えは、そのどれも正しいようで、正しくないからです。あなたは、明確な答えのないまま、こんな生活を続けていらっしゃる。」
確かに男の言うとおりだった。金がほしいから。単純に好きだから。依存的に、足が向くから。そのどれもが当てはまるが、それだけじゃないような気がする。それらが複雑に絡み合って、別のかたちをしているのだが、それが何なのかは解らない。それに、もっと別な事のような気もする。
その男には、僕がよく出入りするパチンコ屋の出入口で出会った。僕は携帯電話でメールを確認しながら、あまり前を注意せずに歩いていた。自動ドアが開いて、パチンコ屋から一歩外へ踏み出した瞬間、その男にぶつかった。負けたせいもあって、イライラしながら足早に歩いていた僕は、勢いあまってよろけてしまい、ドアにぶつかってしまった。男は、非常に背が高くて幅もあり、背筋の伸びた体にピッタリ合っている、生地の質がいい二つ釦のグレーのスーツを着ていた。白髪の混じり具合から、一見初老のようにも見えたが、その割にはしわが少なくて肌つやが良く、年齢がいまいちよく解らない感じだった。
「申し訳ありません。私の不注意で…」
と男はすぐさま僕に手を差し出してきた。それからすぐに、名刺を差し出してきた。その動作が、あまりにもすばやく丁寧で、思わず僕も頭を下げながら
「すみません、今名刺を持ち合わせていないもので」
とペコペコして、名刺を受け取ってしまった。男は間髪をいれずに
「あの、ぶつかっておいて、いきなりこういう話をされると怪しい人間だとお思いでしょうが、実は、あなたにお話があって、今日はここへ来たのです。ちょうど、あなたが店を出られる時でよかった。入れ違いになるところでした。」
と言ってにっこりと微笑んできた。僕は、受け取った改めて名刺を見た。純白のシンプルなデザインで社名の記載は無く、名刺のサンプルのように、ただ「山田 太郎」と嘘みたいな単純な名前だけが書いてあった。僕は新手の宗教か何かかと思い、時間がありませんので…と名刺を返そうとしたが
「確かに、怪しい。怪しいが、私はあなたにお話があってきたんです。あなたの、パチスロのお話です。それをどうしても、聞いて欲しいのです」
といきなり最敬礼で頭を下げた。男が頭を下げたまま動かないでいると、周りからの視線を感じ始めた。僕はとても居心地が悪くなり、
「あの、とにかく、場所を変えましょう」
と思わず口走ってしまった。それを聞いて、男はゆっくりと頭を上げて
「ありがとうございます、あなたにとって、決して悪いお話ではありません。」
と言いながらとても穏やかな表情で微笑んだ。
「あの、喫茶店でいかがでしょう?もちろん、御代は私が持ちます。話も、すぐに終わります。」
そうやって、僕は気がついたら、その男と二人で喫茶店に入り、コーヒーを頼んでいた。
……男はとても穏やかな表情で、こう続ける。
「あなたも、こんな生活を続けていては駄目だという気持ちがおありでしょう。頭の片隅は、常にそういう考えがあって、それでもやめないでいる。何にせよ、そういった事は誰だってあります。それが、何なのか…人によって違います。パチスロだったり、手芸だったり、マラソンだったり、万引きたっだり。ただ、私にとって、そういった事は問題ではないのです。名前もそうです。あなたは、その名刺の名前を見て、嘘だろうと…冗談だろうと、お思いでしょう?実際のところ、それが嘘かどうか…そんな事はどうでもいいんです。たとえば、Aだっていい。あなたが、私という人間を認識するときに、ちょっとしたきっかけというか、認識しやすくするためにつけた記号みたいなものです。名前の無いものは、覚えにくいでしょう?とは言っても、この山田太郎というのが、私の本名に違いないんですけどね。」
そこまで言って、彼は一呼吸おいた。ちょうど横を通りかかったウエイトレスを呼びとめて、まだ半分も飲んでいないコーヒーをテーブルの端に寄せて、
「これを下げて、お代わりをいただけますか」
と言った。ウエイトレスは不思議そうな顔をして、
「何か問題がありましたか?」
と聞いたが、彼は首を振って
「残してすみません。冷めかかったコーヒーが嫌いなだけです。」
と苦笑いしながら答えた。
「あ、彼のおかわりもお願いしますね。」
と言ったので、僕は断ろうとしたが
「どうか遠慮なさらずに。お誘いしたのは私ですから。あなたが、ぬるいコーヒーがお好きだというのなら別ですが…。」
と、彼は大きく掌を広げて僕を見て、微笑んだ。コーヒーは、まだ、十分に温かかった。
ウエイトレスが飲みかけのコーヒーを丸いトレイに乗せて、伝票を持ってテーブルを離れるまでの間、男は何かを考えるように、顎に手をあてて下を向いていた。ウエイトレスがテーブルを離れていったのを確認して、僕のほうを見ずにこういった。
「正確には、この店の、ぬるくなったコーヒーの強い酸味が駄目なんです。ここのコーヒーは、マスターの好みなのか、業者の問題なのか、ブレンドしているコーヒー豆の具合で、酸味が強めになっている。私はそれが好きでこの店に通っているのですが…冷めてくると、酸味がどうしても強く出過ぎてしまう。微妙なもので、物事というのは、丁度良い頃合を過ぎると、とたんに駄目に感じる。そういった事は、ここのコーヒーだけで無く、世の中に沢山あります。」
「この店に通っている、ということは…この近くに住んでるんですか?」
僕がそう聞くと、男は微笑みながら首を横に振った。
「いやいや、自宅は別の場所です。もっとも、自宅にはほとんど帰れません。私は、仕事で、この近辺に…。それで、あなたに出会ったのです。」
男はカウンターのほうを振り返って見て、まだウエイトレスが来ないことを確かめるとこう言った。
「そうです。あなたのような人を発掘するために、私は日々、動いてます。さっき、ちょうどよい頃合を過ぎると、とたんに駄目になると話しましたが……それは、あなたにも当てはまる。ご自分でも、うすうすお気づきじゃありませんか。」
僕が、まったく解らないといった表情をしたのを見て、男はうんうん、と頷いた。
「今日、私があなたにお願いしたいのは、あなたの、その『ヒキ』を、我々のためにお貸しいただけないか…という事なんです。」
ヒキ?何を言ってるんだ?パチスロの事か?僕は頭が混乱しそうなのを何とかこらえていた。我々のため?いったい、何を言っているんだ…
「人によっては、運だとか、博才だとか言うこともあるでしょう。それに近い。私は、そういったものを、お借りすることで、商売をしています。具体的には、あなたに、私どもで指定するホールへ出向いていただき、パチスロやパチンコを打って欲しいのです。」
打ち子の勧誘なのか…と理解しようとした僕を、違うのです、と制して続けた。
「たとえば、設定状況の良い、特定の台を指定して……もしくは、遠隔装置などを使って、店が出玉感を演出するといった、馬鹿げたサクラのような話ではありません。完全に合法で、我々だけに許された商売です。それは、私のような人間だけでは成り立ちませんし、あなたのような人間だけでも成り立たない商売なのです。だから、こうやって、お声をおかけした。」
ますます怪しい話になってきた。単純な打ち子のバイトの方が、よっぽどまともに感じる。
それに、ヒキを貸せ…とは見込み違いもいいところだ。僕に、そんな商売になるほどのヒキがあるなら、別にひとりで立ち回ればいいだけの話だ。
「あの……さっき、ヒキを貸せと言いましたよね?それは、あなたの仕入れた情報で、私がその台を打って、出玉を山分けしようという話じゃないんですか?」
「いいえ、真逆です。あなたの、そのヒキで、特定の店の出玉を無くして欲しいのです。つまり……」
「待って下さい、特定の店の出玉をなくすって、そんな事しても、店が儲かるだけじゃないですか。何のメリットがあるんですか?」
男はこう言った。
「あなたの、そのヒキの弱さで、特定の店のイベントを潰して戴きます。そうする事によって、その店は信頼を失い、客数を減らします。もちろん、他にも我々の方で、いろいろな仕掛けをしますが…それらは、すべて合法的なやり方です。それで、一気に閉店まで追い込むことができれば大成功ですが、潰しにかかった店から、依頼を受けた店へと客が流れ始めたら、あなたの仕事はほぼ完了したと言えるでしょう。」
「つまり、あなたには、『潰し屋』の最前線をお願いしたいのです。」
新しいコーヒーが、湯気を立てて運ばれてきた。僕は、その意味不明な説明を理解できなかった。ヒキの弱さ?一体何を言い出すんだ?
「あの、ヒキの弱さなんて、そんな不確定な要素で、意味不明な商売が成り立つんですか?そもそも、僕がヒキが弱いなんて…」
イライラしてまくし立て始めた僕を、男は強い口調で制した。
「わかります。わかるんですよ、私には。だから、あなたをずっと見ていたんです。あなたが、潰し屋のレベルにある人間か否か。こう言っては失礼だが、あなたは、この仕事に関わる以外に、今の生活を続けることはできないんです。」
大きな声に驚いて、僕は黙ってしまった。男は続ける。
「あなたは、このままだと…おそらく、大きなものを失うまで…それが、家族か、財産か、名誉か、それとも命か…そういったものを失うまで、今の生活から抜け出せない。それは、明確な理由を見出せないまま、パチスロを打っているからです。理由を知るまで、続けてしまうんです。そして、残念だが、あなたは非常に『引けない人』だ。あなたの立ち回りは決して間違っていない。それでも勝てない。それは、自分でも感じていたはずです。だから、さっきお聞きした。どうして、こんな生活を続けているのかと。」
そこまで話して、運ばれてきたコーヒーを一口すすった男は、穏やかな口調に戻った。
「今日は、ここまでにしましょう。嘘みたいな話ですが、これは実在するビジネスなんです。あなたにとっては、メリットの多い話だ。明日か明後日………もし、興味があれば、ここに電話して下さい。『潰し屋』の最前線を、お見せしましょう。あなたの、お仲間になる人達が頑張っていらっしゃる姿を。」
そう言いながら、テーブルの上に置いていた名刺を裏返し、男は胸の内ポケットから高そうな万年筆を取り出して、電話番号を書いた。
「とりあえず、現場をご覧いただけることを、期待しています…」
そういって、男は伝票を持って立ち上がり、深々と頭を下げて店を出た。
男の姿が見えなくなるのを確認してから、僕は煙草に火をつけた。深く、ゆっくりと吸い込んだ。詐欺だとか…そういった類のものを疑う反面、何か逆らえないような雰囲気を感じていた。新興宗教にはまる人の気持ちが想像できた。僕は、名刺を捨ててしまうか少し悩んで、財布の中にしまいこんで、店を出た。
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『潰し屋』なる完全に怪しい話を聞いた次の日も、いつもと同じように朝7時に目覚めた。携帯電話のアラームが鳴って、手探りで電話を探し、なるべく早く不快なアラーム音を消す。布団からなかなか抜け出せないでいると、携帯電話のアラームが再び鳴り出す。そんな事を繰り返して、目が覚めてから30分くらいかかり、ようやく起き出す。
そんな感じで僕が起き出してくるころには、妻はすでに化粧を始めていて、「お願いだから、早く朝ご飯の支度して」と僕をせかす。食パンの消費期限が今日までで、水分が若干飛んでいたので、トーストはやめてフレンチトーストを作ることにした。
ボールに卵1つと、大さじ2杯の砂糖、コップ半分の牛乳を入れて手早くかき混ぜる。食パンを4つに切って、ボールの中で卵液に浸し、バターを溶かしておいたフライパンで、両面をじっくり焼く。そうして焼きあがったフレンチトーストの半分にシナモンパウダーを軽く振りかける。同じ味だと飽きるからだ。
卵はすでに使っていたので、卵の代わりに、何かで品数を増やそうと思って冷蔵庫を開けてみたが、サラダにするには少し古い野菜ばかりが並んでいる。仕方がないので、昨日食べ残していた冷蔵庫のリンゴを角切りにして、ヨーグルトと一緒に出して誤魔化しておいた。
「今日はちゃんと買い物に行ってきてよ」
「うん、わかった」
昨日、あの男との話のせいで、買い物に行く時間が無くなってしまった。昨日の夜は、家にあるもので簡単に済ませた。それが、妻は少し不満だったようだ。僕は、昨日の夜、掃除をすることで、訳のわからない罪悪感から逃れようとしていた。目いっぱい磨いたシンクはピカピカで、おかげで疲れ果ててしまって、あんなことがあったのに、不思議なほど熟睡できた。
気がついたら既に妻は仕事に出て行って、テーブルには、一口ずつ手をつけたフレンチトーストと、ヨーグルトが放置されている。僕は自分の分を新しく作る気にはならず、残されている食事を片付けるように流し込む。最後の一切れを口にくわえながら、ノートパソコンをテーブルまで持ってきて、パチンコ店から送られてくる大量のメールをチェックし始める。起きたときからつけっ放しのテレビでは、もう8時台のワイドショーが始まっている。
大きなイベントが無いか、信頼度の高いイベントが無いか…。パソコンにメールが届くように設定しているホールは、以前に何度か行ったことがあるものの、最近は滅多に行かないホールばかりだ。自宅から30分以上の場所にあり、車を処分した僕には通いにくいホール。しかし、一応自分なりに「使えそうなホール」ばかりを選定している。だから、メールには目を通す。それなりに狙えそうなイベントがあれば、様子を伺いに行くつもりでいる。
本当は、こういったメールは前夜に調べておくのが正しいのだろうが、夜はそれなりに忙しい。家事全般を僕が行っているから…僕がこういう生活…つまり、パチスロで金を稼ぐという生活を始めるときに呑まされた条件だ。もっとも、条件はこれだけではなかった。家事のほかに、収支を報告すること。生活費はあらかじめ月初に妻に渡すこと。家の用事を優先すること。妻の休日は打ちに行かないこと。そして、収支がマイナスになった場合は職に就くこと。こういった条件の中で始まった新たな生活も、もうすぐ半年になろうとしている。いや、もっと正しく言えば、こういった事で金を稼いでいることを告白した日からもうすぐ半年…となる。
結婚してから1年が経った頃、体を壊し、僕は会社を辞めてしまった。しばらくして、知人に紹介してもらった、小さな求人広告の代理店で簡単なアルバイトを始めた。営業マンだったときに収集した情報を活かし、求人広告の営業に使う「アタックリスト」の作成を手伝った。突発的な求人が多く発生しそうな小売・アミューズメント・サービス業を中心に、大体の従業員数や規模、話がしやすい訪問時間を地図に簡単に書きこみ、営業が効率よく回れるマップを作成した。
それを元に、大まかな巡回ルートが出来上がってから、求人の獲得件数が伸び始めた。訪問時間がはっきりとしたことで、新人でも効率よく回ることができた。社員の時間管理もできた。営業エリア内のアタックリストがすべて出来上がってからは、雑用を中心に、求人のキャッチコピーやレイアウトなどを手伝った。リストの更新は、営業の人を中心に行い、最終的な形作りを担当した。
ところが、みんなが業務に慣れてくると、会社にいる人数でそれらの作業がこなせるようになって来た。最初の雛形作りが大変なだけで、それを一度完成させたら、あとは改良するだけでいい。僕の役割はしだいに少なくなっていき、時間があるなら営業に出てほしいというようなことを言われ始めたので、僕は事務所に顔を出さなくなっていた。当然、アルバイト代も減少した。サラリーマン時代から続けていたパチスロにかける比重が、時間の余裕と共に、大幅に増加した。そう、足りないお金を、パチスロで稼ぐ日々が始まったのだ。
(第2話に続く…)
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